嵐山で人力車にのってみた その4
中にはすばらしい光景が繰り広げられていました。
庭をぐるっとまわってみました
ここは車夫さんオススメどおり人はあまりいないし、
なによりアップダウンのない平地なので高齢の人にはいいと思います。
みずみずしい苔の上に落ちかかった枯れたもみじもまたよし。
寒さのなかに、さざんかのような緑のピカピカの葉っぱも目を引きます。
そんな中ちゃっかりこんなオブジェも。
住職の私物なんだそうです。ww
庭の奥にはこのようなスポットがありました。
話は南北朝時代にさかのぼります。
宝筐院は室町幕府の二代将軍足利義詮(よしあきら)の菩提寺で、
義詮は北朝を興した足利尊氏の子どもです。
柵の向こうの2つの塔、
左側はその義詮の墓ですが右は南朝方の楠木正行(くすのきまさつら)の首塚なのです。
楠木正行は楠木正成(くすのきまさしげ)の子で、北朝の大軍と戦い討ち死にしました。
その首だけをこのお寺に葬っていたのですが
仇敵とはいえ正行の人柄をたたえていた義詮は自分が没したとき正行の傍らに葬ってほしいと
頼んでいたのだそうです。
だからこのとびらのところには
左に北朝の足利家の「丸に二つ引き」、右に南朝の楠家の「菊水」の家紋が仲良くならんでいるというわけです。
上の写真の左下に見える灯篭は「丹下左膳」の名優大河内伝次郎が寄贈したものだそうで
名前入りでした。
見にくいですが下に“寄贈 大河内伝次郎”と書かれています。
ちなみにこの近くには大河内伝次郎の別荘だった大河内山荘という
観光スポットがありますよ。行きたーい!
これ、”その3”の最後の写真です。
楠木正成が大楠公と呼ばれたのに対して正行は小楠公とよばれていたので
宝筐院の入り口には「小楠公菩提寺宝筐院」と書かれているんですよ。
紅葉もすばらしかったですが
そんな話しをたくさんおしえてくれた車夫さんに拍手。
ありがとうございます!!
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★京都の帽子屋さん*帽子屋ポピンズ 帽子プロデューサー。
★自身が、帽子が苦手だった経歴をもつ。
★1000人以上の女性からヒアリングしてわかった、”多くの人に似合う帽子”をプロデュース。
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義詮って、懐のひろい方だったんですね。勉強になりました。
京都は日帰り可なので、美しい写真を拝見して、来年は絶対ここだ~!と今から張り切っております。
しかし、このオブジェは…^^;
そう、義詮自身も人徳のある人だったみたいですよ。
そうならばかなりの美談ですね。
来年はぜひ宝筐院にも行ってみてくださいね~